メディアとジェンダー
特集「新しいメディア、古いジェンダー観」
東京大学大学院情報学環・教授 田中 東子さん
一人ひとりの個性と能力が輝く社会をめざして
あすばるーん
メディアとジェンダー
SNSの普及にともなって、メディアの多様化が進み、誰もが気軽に情報の発信ができる時代になりました。私たちはメディアから情報を得る一方で、メディアは私たちの物の見方や考え方に大きな影響を与える存在です。今号では、ジェンダーの視点から現代メディアの持つ問題点を探り、私たちが現代メディアとどのように向き合えばよいのかを考えます。
新しいメディア、古いジェンダー観
東京大学大学院情報学環・教授 田中 東子さん
メディアとはなんであるのか、と問われたらどのように答えられるでしょうか?
20世紀であれば、メディアとはその語源のとおり、情報や知識を運ぶ「媒介」として運用されているあらゆる回路――例えば「新聞、雑誌、写真、映画、ラジオやテレビのことです」――などと簡単に答えられました。けれども、メディアの「媒介」する情報や知識がアナログの物質に宿る形態からデジタルへと変換されるようになり、デジタル化された情報や知識がインターネットを通じて世界中に広がり、つながり、やり取りされるようになった現在、何が「メディア」であるのか説明することは極めて困難なことになりました。
スマートフォンは今日、代表的な「メディア」になっています。私たちはスマホでニュースを読み、動画を視聴し、メッセージのやりとりをし、電話をかけ、写真を撮り、SNSに投稿をし、仕事の資料を送受信しています。情報の発信から視聴まで、放送から通信までを気軽に行える小さな電子端末のなかに、かつてのラジオやテレビや電話やカメラなどあらゆるメディア機器が圧縮され、存在しているのですから驚きです!
さらに、現在では情報のやりとりの一部を、人工知能(AI/アルゴリズム)が代替するようになりました。私たちのスマホにニュースや広告が届けられるとき、膨大な情報のなかから「私」だけに適した情報や宣伝を選抜し、「レコメンド機能」と呼ばれる機能で情報を届けてくれる発信源にいるのは、もはや人間ではなくAI/アルゴリズムなのです。特に、OpenAIが2022年秋に公開したChatGPTは、AI/アルゴリズムと会話をしながらさまざまな命令や質問の処理をしてもらえるという使いやすさもあり、世界中でヒットしました。現在では、様々な生成AIが開発の途上にあり、私たちの代わりにイラストを描いてくれたり、メールの返事を作成してくれたり、と多様な機能を果たしています。
このように、大いなる変容の過程にある新しいメディアですが、「ジェンダー」という視点で考えてみると、どのような風景が見えてくるでしょうか?ここでは大きくふたつのことを指摘してみたいと思います。
ひとつめは、SNSに広がる女性やマイノリティへの攻撃の広がりです。SNSを頻繁に見ている人は気づいているかもしれませんが、現在いくつかのSNSでは、女性やマイノリティの人たちを攻撃する投稿や配信が増え、それぞれ多くの視聴数(「インプレッション数」や「リーチ数」などと呼ばれています)を稼いでいます。性差別や人種差別に基づくこれらの情報は名誉棄損や脅迫、誹謗中傷にあたり、違法な内容のものもたくさんあります。しかし、なぜ、法を犯すような恐ろしい行為をする人たちが後を断たないのでしょうか?その理由は、SNSが、より多くの人に視聴されることで、より多くの収益を生む構造になっていることにあります。侮辱的な言葉や映像、激しい糾弾、面白おかしいフェイク情報など、女性やマイノリティを傷つけ、攻撃するような情報であっても多くの人の歓心をひきさえすればお金になる、ということがこれらの人たちへの攻撃を増加させているのです。
ひと昔前には「イエロー・ジャーナリズム」という言葉を用いて、新聞やテレビなどマスコミがセンセーショナルで事実を歪曲するような報道を行った際にはその品位や道徳心を批判し、公共性への奉仕を促したものです。SNSにあふれる弱者への攻撃という現象を批判するための言葉として、最近では「収益化するミソジニー(=女性への攻撃)」や「収益化する人種差別」といった表現が使われるようになってきましたが、残念ながらまだ一般化するには至っていません。
ふたつめは、生成AIの生成するイメージがジェンダー・バイアスやステレオタイプにあふれているという問題です。例えば、お絵描きAIに、「大学教授の絵を描いてみてください」とお願いすると、多くの場合、「眼鏡をかけた中年男性(白人であることが多い)」のイラストを描いてくれます。様々な種類のお絵描きAIで試してみても、同様のイラストが生成されます。他方、「看護師の絵を描いてください」とお願いしてみると、たいてい、「若い女性(アジア系であることが多い)」のイラストが生成されます。これは、生成AIが学習している元のデータにおけるジェンダー・バイアスやステレオタイプをAIが「素直に」学習してしまうことから、私たちの社会に埋め込まれている性別と職業のイメージをAIが再生産してしまうことによって生じています。新聞やテレビ、広告では忌避されるようになったジェンダー・バイアスが、AIの中で生成され続けているとしたら、ジェンダー平等の視点から批判していかなくてはならないでしょう。
これらの問題を踏まえて最後に、情報の発信者側に求められるものについて考えてみたいと思います。かつて情報の発信者というのは、新聞社やテレビ局や出版社の人を指していました。かつてマスコミの記者や番組制作者たちは、取材の仕方や記事の書き方、映像編集の方法などについて特別な訓練を受けた上で、もしくは情報発信の際に気をつけるべき点を先輩たちに習いながら情報発信を行ってきました。けれども、いまや何の訓練も受けていないひとりひとりの市民が情報を発信できるようになってしまっているのです。スマホで気軽にSNSに投稿できるようになった現在、市民ひとりひとりが情報の発信者になってしまったのです。
私は以前、メディアとダイバーシティについて一緒に考えている仲間たちと、『いいね!ボタンを押す前に―ジェンダーから見るネット空間とメディア』(2023年、亜紀書房)という本を出しました。誰もが情報の発信者になってしまう時代に、気を付けるべきことをまとめたガイドブックのような本になっています。
社会に対して発言し、社会に大きな影響を与えかねない情報発信を行う際には、当然、重大な責任が伴います。その責任の重さを感じながら、かつてのジャーナリストたちはどのような思いで情報を発信してきたのか、改めて勉強してみるのはいかがでしょうか?
東京大学大学院情報学環・教授
田中 東子(たなか とうこ)
専門分野はメディア文化論、ジェンダー研究、カルチュラル・スタディーズ。
博士(政治学)。
早稲田大学大学院政治学研究科後期博士課程単位取得退学後、早稲田大学政経学術院助教、大妻女子大学文学部教授などを経て、現職。第三波以降のフェミニズムやポピュラー・フェミニズムの観点から、メディア文化における女性たちの実践について調査と研究を進めている。
主著に『メディア文化とジェンダーの政治学』(2012、世界思想社)、『オタク文化とフェミニズム』(2024、青土社)他、編著、翻訳書など多数。
各メディアの平均利用時間と信頼度
近年、インターネットの平均利用時間は他のメディアを大きく上回っていますが、各メディアに対する信頼度に目を向けると、ネットはわずか2〜3割にとどまっています。これに対し、テレビや新聞は6割を超える高い信頼度を維持しています。情報の発信量や露出の多さが必ずしも信頼につながるわけではなく、情報の正確性や信頼性がより重視されていることが分かります。
出典:令和5年度情報通信メディアの利用時間と情報行動に関する調査
(総務省情報通信政策研究所)
出典:令和5年度情報通信メディアの利用時間と情報行動に関する調査
(総務省情報通信政策研究所)
ジェンダー平等を巡る社会の動き
あすばるライブラリー 関連図書紹介
あすばるライブラリーの蔵書の中から、「メディアとジェンダー」に関連する本をご紹介します。
『メディア文化とジェンダーの政治学』
田中 東子/著
世界思想社
『ジェンダー目線の広告観察』
小林 美香/著
現代書館
『ジェンダーで学ぶメディア論』
林 香里・田中 東子/編
世界思想社
※ライブラリーでは、様々なテーマの企画展示をおこなっていますので、ぜひ、お立ち寄りください。