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【センター長コラム】 国際連合 男女平等の歩み75年

こんにちは。お変わりありませんか。

今日お届けする花は、「ランタナ」と「サルスベリ」です。

「ランタナ」は、咲き始めは、中心部の小花は黄色ですが、だんだん全体がピンクになっていきます。和名を「七変化」というそうです。可愛い花ですが、難点は繁殖力が強いことです。地植えをすると、あっという間にブッシュになります。

「サルスベリ」は、ピンクや赤も咲いていますが、今年は白のサルスベリに、花房が垂れ下がるくらいたくさん花がつきました。

 

9月15日、国連総会が開会しました。今年は国連が1945年に創設されてから75年目の節目の年です。新型コロナウイルス感染拡大のため、今年の国連総会は、オンライン開催となりますが、9月21日に、創設75周年を祝うイベントが行われる予定です。

 

さて、わが国の男女共同参画の歴史を振り返る場合、多くは、1975年の「国際婦人年」以降の取組が述べられます。それは、日本が総理府に男女共同参画担当の組織を置き、国として実質的に取り組み始めたのが1975年だからです。

 

福岡県男女共同参画白書』をはじめ、行政の発行する関係資料の多くに、国際婦人年以降の取組の年表が記載されています。私も、今年4月22日の「センター長コラム」で、わが国の男女共同参画の取組のスタートとして国際婦人年を紹介しました。

 

しかし、国連は、設立当初から男女平等を掲げて取組を行ってきたので、今日は、1945年までさかのぼって、国連の男女平等の取組のお話をしたいと思います。

 

国際連合(国連)は、第2次世界大戦の連合国が中心となって署名した「国連憲章」が、1945年10月24日に発効したことにより設立されました。そして、翌1946年1月に、第1回の国連総会が開かれ、今年の国連総会は、第75回の国連総会です。

 

国連憲章には、第1条に国連の目的が掲げられ、その1つに、人種、性別、言語、宗教による差別なく、すべての人の人権と基本的自由を尊重することを助長するために国際協力をするということが述べられています。

 

この男女平等の取り組みを牽引したのが、「婦人の地位委員会」です。

婦人の地位委員会は、1946年2月、「経済社会理事会」に設置された「人権委員会」の下部組織の「婦人の地位小委員会」としてスタートしました。

経済社会理事会は、経済と社会問題に関して必要な議決や勧告などを行う国連の主要機関です。

 

しかし、国連に加盟する各国の女性代表が、下部組織ではない独立した委員会の設置を求め、4か月後の1946年6月に、人権委員会と同格の「婦人の地位委員会」に格上げされました。格上げされたことにより、婦人の地位委員会は、経済社会理事会や国連総会に直接勧告を行うことができるようになりました。

 

この婦人の地位委員会に深くかかわったのが、アメリカの国連代表をつとめていたエレノア・ルーズベルトです。

エレノアは、第32代大統領フランクリン・ルーズベルトの妻で、夫のフランクリンは、1945年4月に亡くなりました。夫の死後、エレノアはアメリカの国連代表に指名され、52年までアメリカの国連代表をつとめています。

 

エレノアは、国連では、人権委員会の委員長をつとめ、1948年の世界人権宣言の作成を推進しました。

国連が当初から男女平等政策に積極的だったのには、エレノアの存在が大きかったと思われます。

 

国連は、第4回世界女性会議を終えた1996年に、それまでの女性政策を総括したレポート「国際連合と女性の地位向上 1945-1996」(日本語版は、国際女性の地位協会から発行)を公表しているので、それをもとに国連の男女平等の取組を概観してみたいと思います。

 

次の図は、20世紀後半の国連の男女平等の取組を図示したものです。国連は、1975年から1995年にかけて、4回の世界女性会議を開催しました。それぞれの会議に関しては、私の今年のセンター長コラム(4月22日4月28日5月21日6月18日)をご参照ください。

国連のレポートによれば、国連の女性の地位向上の取組は4つの段階に総括されています。

第1期は、平等の法的基礎の確立を行った時期(1945年~1962年)です。女性の政治的権利や既婚女性の権利、雇用・労働など、各国の女性の権利の法制化のもととなる女性の権利に関する条約をつくりました。また、女性の現状を把握するための実態調査も行いました。

 

第2期は、開発における女性の役割の認識の時期(1963年~1975年)です。

多くの新興独立国が誕生し、社会の総体的な進歩における女性の役割が認識されるようになった時期です。開発戦略の議論の中に女性問題が取り上げられるようになるにつれて、差別は、さまざまな形態をとることが認識されました。

婦人の地位委員会は、1945年以降につくられた女性の権利に関するさまざまな基準を1つにまとめる宣言をすれば、平等な権利の根拠づけが飛躍的に進展すると主張し、1963年の国連総会で、婦人の地位委員会が女子差別撤廃宣言の草案作成に着手することが決まりました。
 そして、1967年に女子差別撤廃宣言が採択されました。

1972年には、1975年を国際婦人年とすることが決定されました。

 

そして、第3期は、「国連婦人の十年」と重なる1976年~1985年です。この時期の特徴は、それまでは女性を開発の受益者とらえていたのに対し、女性は開発の全過程における主要な貢献者であるととらえる考え方に改めた点です。女性を、受益者であり行為者として開発の中に統合する「開発と女性(Women in Development: WID)」アプローチが、急速に広がりました。

図にも示したように、この時期には、1979年「女子差別撤廃条約」の採択、1985年「ナイロビ将来戦略」の採択と重要な取組が行われました。

 

第4期は、1986年以降で、女性の地位向上の青写真である「ナイロビ将来戦略」の実施を目指す取組を行いました。

この時期には、冷戦の終結、経済のグローバル化といった地球規模の政治的社会的変革がありました。1990年代に入ると、新たな世界的枠組みの中で、国連による連続した会議は、女性の権利に関する取り組みの力を結集させる媒体となりました。

1990年世界子どもサミット、1992年リオデジャネイロ「国連環境開発会議」、1993年世界人権会議(ウィーン会議)、1994年国際人口・開発会議(カイロ会議)、1995年コペンハーゲン「社会開発サミット」と続く一連の国際会議の成果を踏まえ、1995年の第4回世界女性会議(北京会議)が開催されたのです。

 

北京会議で採択された「行動綱領」は、女性が力をつけ、男性と平等に社会に参画するために特に障害となっている12の重大問題領域について、各国政府や国際機関、NGOがとるべき行動を示した国際基準です。

 

1999年に制定された男女共同参画社会基本法の基本理念の中には、国際的協調の下にわが国の男女共同参画社会の形成を促進することが掲げられています。

 

今年の国連総会開幕のニュースを見ながら、国連の75年間の男女平等の取り組みを思い起こしました。
 そして、わが国は、北京行動綱領や、北京会議から20年目の2015年に国連婦人の地位委員会の会合で採択された「政治宣言」に示された「2030年までに男女の完全な平等達成」という世界基準を見据えながら、男女共同参画社会形成の取組を進めていかなければならないと、改めて思った次第です。

 

おしまいは、マイ農園だよりです。

9月も半ばを過ぎると、朝晩はかなり涼しくなりました。

プランターに埋けていた小さな山芋から伸びたつるに、むかごができました。山芋はスーパーでいつでも買えますが、むかごだけは季節のもの。私は、むかごをとるために山芋をつくっています。

ピーマンも赤く色づきました。夏の間は緑のピーマンを収穫しましたが、今は赤くなるのを待っています。赤ピーマンは、私のタイ料理づくりには欠かせません。春雨サラダ(ヤムウンセン)をつくることにしましょう。

ではまた。                              (2020.09.19)

 

 

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