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【センター長コラム】 スタートは「国際婦人年」  (2020年4月21日配信)

こんにちは。

八重桜が咲きました。オレンジ色の花は君子蘭、紫はオダマキです。今の時期は、いろいろな花が咲きます。

 
  
 
お変わりありませんか。

例年、年度初めに行っている男女共同参画の基礎についての講座や講演が、今年は中止や延期になってしまったので、その中でお話ししている男女共同参画の歴史のエッセンスを、何回かに分けてお話ししたいと思います。

 

今回は、わが国が男女共同参画の取り組みをスタートするきっかけとなった「国際婦人年」についてです。

 

私は、若い方や学生さんに講義をするときは、いつも、水道の蛇口から水が出ているイラストを使って、「今、男女共同参画・女性活躍推進という水が蛇口から勢いよく出ているが、それは長い時間をかけて苦労しながら水道管を敷設してきた歴史があるということをしっかり学んで、男女共同参画社会という水を大切に使ってほしい」と言っています。

今の男女共同参画社会は、長い歴史の中で形づくられてきたものなのです。

 

下の図は、国際連合とわが国の女性の地位向上の取り組みの歴史を概観したものです。

男女共同参画の歴史は、国連の取り組みと切り離すことができません。

 

国連は、1945年の創設以来、人権尊重、男女平等に取り組んできましたが、男女差別は依然として大きな課題でした。そこで、1975年を「国際婦人年」として、世界の国々が女性の地位向上の取り組みをスタートするきっかけとしたのでした。

 

国連は、国際婦人年に、メキシコのメキシコシティで第1回の世界女性会議(国際婦人年世界会議)を開催し、その後、1980年に第2回(開催地:デンマーク・コペンハーゲン)、1985年に第3回(ケニア・ナイロビ)、1995年に第4回(中国・北京)と、計4回の世界女性会議を開催します。

 

また、1979年には、「世界女性の憲法」と言われる「女子差別撤廃条約」も採択しました。

 

この1975年以降の国連の取り組みに呼応しながら、わが国は男女共同参画社会をつくっていったのです。

 

では、国連の女性の地位向上キャンペーンのスタートとなった「国際婦人年」について見ていくことにしましょう。(ちなみに、このころはまだ「男女共同参画」という言葉は使われていません。「男女共同参画」という言葉が使われ始めたのは1990年代です。)

 

国連は、特定の課題について国際的な関心を高め、重点的に取り組むことを世界に呼びかけるために、「国際〇〇年」というものを定めており、その1つが「国際婦人年」です。「国際児童年(1979年)」、「国際高齢者年(1999年)」などご存じかと思います。

 

国際婦人年の直接のきっかけは、「国際民主婦人連盟」という、100か国近い国の女性が加入していた国際的な女性組織が、1972年に、「国連婦人の地位委員会」に国際婦人年の制定を提案したことです。

 

これを受けて、その年の国連総会で、1975年を国際婦人年とすることが決定されました。

 

「国連婦人の地位委員会」というのは、経済社会活動を調整する重要な機関として国連に設けられている「経済社会理事会」の下に設置されている委員会で、経済社会理事会に対して、女性の地位に関する提案や報告などを行う機関です。

 

国連婦人の地位委員会は、毎年3月に、年次会合(「CSW」:Commission on the Status of Women)を行っています。

 

今年の会合(第64回CSW)は、「北京+25」という大切な会合でしたが、新型コロナウイルス感染拡大のため、3月9日に形式的な開会行事が行われただけで、休会となりました。北京+25」というのは、国連が開催した最終の世界女性会議である第4回の北京会議から25年目という意味です。)

 

さて、国際婦人年に話を戻すと、国連は、1975年6月、2週間にわたってメキシコシティで、「平等・開発・平和」をテーマに「国際婦人年世界会議」を開催し、「メキシコ宣言」や「世界行動計画」などを採択しました。史上初めて、女性問題を世界的な議題とした会議が開かれたのでした。

 

会議には、133か国の政府や国連機関などから、およそ3000人が参加しました。政府間会議と並行して民間会議も開催されたので、総参加者は5000人を超えると言われます。

日本からも、12人の政府代表団と超党派の女性の国会議員10人が参加しています。

 

「世界行動計画」は、各国の政府や民間団体などあらゆる方面に、女性の地位向上に向けた国内での取り組みを進めること(国内行動)を求めており、政府には、国の実情に応じた国内行動計画を策定することや、政府内に十分な職員と予算を持った国内委員会や女性局を設けることなどを求めました。

 

これを受けて、わが国では、1975年9月に、総理大臣を本部長とする「婦人問題企画推進本部」を設置することを閣議決定し、総理の諮問機関として有識者からなる「婦人問題企画推進会議」の設置がなされ、これらの事務局となる「総理府婦人問題担当室」が置かれました。

 

そして、婦人問題企画推進本部は、婦人問題企画推進会議の意見を踏まえ、1977年1月、1986年までを計画期間とする「国内行動計画」を本部決定しました。

 

わが国に、「計画」と「担当組織」という政策実施の必須2点セットができました。

 

世界行動計画はまた、国連に対して、1985年までの10年間を女性のための10年と宣言することを求めており、国連は1975年の総会で1976年から1985年までの10年間を「国連婦人の十年」とすることを決めました。

 

このように、国際婦人年は、全世界を巻き込んだ女性の地位向上キャンペーンのスタートの年になったのです。

世界行動計画は、219パラグラフにのぼる文書で、女性たちの熱い思いが満ちています。上にお話しした以外にもまだまだお話ししたいことがありますが、今回はこの辺で。

 

 

終わりは、マイ農園だよりです。何年か前に植えた梨に今年初めて花がつきました。まだ小さな木なので、実にはならないと思いますが、たくさん花が咲いています。ソラマメも花が咲き始めました。こちらはたくさん収穫したいです。

体調管理最優先で過ごされますように。

 

ではまた。                                             (2020.04.21)

 

  

 

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