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花岡 夏子(はなおかなつこ)さん (2013年12月取材)

【ロールモデル】
ロールモデルとは

公益社団法人 福岡県看護協会 会長

看護スタッフの職場改善に力を尽くす

 高校生のとき、花岡さんが目指していた職業は小学校の先生だった。国立大学を目指して猛勉強するも、“一応”受けた看護学校に先に合格したため、看護の道へ。卒業後は42年3か月にわたり、飯塚病院と同グループの看護専門学校に勤務し、副院長も務めた。さらに2013年、福岡県看護協会の会長に就任。たまたまめぐりあった看護師という仕事だが、「やめたいと思ったことは一度もないんですよ」と明るく言い切る。

ずっと心の奥にしまっている大切な出会い

 花岡さんには、自らの原点と感じる経験がある。学生時代に出会った、腎臓がんの7歳の男の子。母親を早くに亡くしていた。「とても聡明な子でした。手術して退院したあとは、自宅にお見舞いに行ったり、父親やおばあちゃんの悩みを聞いたりもしましたね。その子のことが気になり、卒業後も泌尿器科を希望して、外来で来院したときはたわいない話をしました。結局、中学を目前にして勤務病棟で生涯を終えました。看取りも体験しました。短い生涯でしたが、患者らしく生きる(生活する)手伝いをすることが看護の役割と、深く考えることができ、彼と出会ったおかげで看護師を続けてこられたのだと思います」と感慨深げに語る。
 20代後半で結婚。当時、結婚によってやむなく仕事をやめる女性が多い中、会社員の夫は「一緒に働いていこうね」と応援してくれた。3人の子を出産すると、実家の母が子育てのサポートをしてくれた。11年目には、同院グループの看護専門学校へ異動に。「思いがけず憧れていた先生になれたんですよ。平日勤務なので子どもの参観に行けず、5日に1日は宿直でした。でも、学生に教えてもらうこと、気づかされることが多くて、楽しかったですね」。その傍ら、九州産業大学経済学部の夜間に入学。片道1時間半かけて通学し、卒業した。「病院も経営は重要。学校勤務の間は平日の夜と週末に休めたから、学ぶチャンスだと思って。それに、ずっと大学生活を送ってみたいと思っていたんです。」とも。

病院スタッフと患者のため改革に着手

 15年で病院に戻ると、2001年に看護部長となり、2002年から看護担当副院長も兼任した。飯塚病院で働く看護師は850~900人にのぼり、病院スタッフの6割以上を占める。管理職時代は、業務改善や新規事業に積極的に取り組んだ。例えば、入院から退院まで一人の患者を一人の看護師が受け持ちケアする体制(プライマリーナーシング)から、チームで担当するチームナーシングに看護方式を変更。看護師がひとりで抱え込まず、チーム全体でよりよい看護が提供できるようになった。医療安全の体制作りにも、力を入れた。
 一方、看護師が楽しく働き続けられる環境づくりを意識して、部長のときは師長や主任70人ほどに誕生日カードを贈った。また、就職2年目の看護師に向けて、直属の上司からサンキューカードを書いてもらった。「長年、数多くの看護師と接していて、2年目は難しい年だと気づいたんです。新人のように手厚いサポートを受けられず、悩むことも多い。だから、上司から褒め言葉や励ましが書かれたカードをもらうと、感激して泣く人もいました。何年も経って、あのカードが心の支えになったと話してくれた人もいたんですよ」。
 仕事をやめたいという人がいれば「何が辛いの?」と聞き、異動や休職などできる限り柔軟に対応。別の病院へ行くためにやめる人は「もし辛かったら、いつでも帰っておいで」と送り出した。実際に「やはりここがいい」と戻ってきた看護師も少なくないという。そこまで寛容なのは「仕事のできる慣れた看護師は、病院にとって財産ですから」と穏やかな笑顔で話す。部長職の後、地域連携本部に異動。患者が転院や退院後に不安にならないように、地域の医療機関との連携体制を強化した。

働き続けられる環境づくりを目指して

 2013年7月に福岡県看護協会の会長に就任して、4か月が過ぎた。同協会に所属する看護師や准看護師、保健師、助産師の総数は3万7000人を超える。現在、特に力を入れているのがワーク・ライフ・バランスの実現だ。各種専門家やサポーターの手厚い支援のもと、9つの医療施設が労働環境の改善に取り組んでいる。「今は産休や育休をしっかり取り、子育てしながら働く人も増えてきました。職員が生き生きと働くことが、患者さんへのよりよい医療や看護につながる」と力を込める。いつでも前向きに働いてきた花岡さん。これからも自ら先頭に立ち、生き生きと楽しみながら挑戦を続けていくに違いない。

(2013年12月取材)

コラム

私の大切な時間

 長年、裏千家の茶道を習っている花岡さんは、自らも自宅で生徒に茶道を教えている。「うちを掃除して、お道具を出して、ステージを整えたりするのは、なかなか体力がいるんですよ。夫が茶花を育ててくれるんです」とうれしそうに話す。3人のお子さんのうち、ひとりは看護師、ひとりは放射線技師になった。「看護師の娘から学ぶこともあります」などという、謙虚な人柄も印象的だった。

プロフィール

嘉穂郡穂波町(現・飯塚市)出身。飯塚病院付属の看護専門学校を卒業後、株式会社麻生飯塚病院に就職。看護専門学校専任教員・教務主任を経て、2001年看護部長就任、2002年から副院長を兼任する。勤務の傍ら、九州産業大学経済学部を卒業。2001年、認定看護管理者を取得。2013年7月から公益社団法人福岡県看護協会会長を務める。

 

 

 

 


 

 

 

 

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