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日高 逸子(ひだかいつこ)さん

ボートレーサー

あきらめなければ、道は必ずある

  「年齢も性別も関係なく、同じフィールドで戦えるのがボートレースの魅力ですね」。まっすぐな眼差しで語るのは、28年にわたりボートレーサーを続ける日高逸子さん。結婚した相手が“主夫”となり、出産後もすぐに仕事復帰。女子王座決定戦を2度制覇し、生涯獲得賞金は8億円にものぼる。50歳を過ぎた今もなおトップグループで活躍している。

「石橋を叩かず渡りまくって」たどり着いた道

  レーサーになるまでの人生は、波乱万丈だった。幼いうちに両親が離婚して、宮崎県串間市で祖父母に育てられた。小学生のころから新聞配達や農作業をしながら、奨学金で高校を卒業し、信用金庫に入行するも1年で退行。東京へ飛び出し、住み込みの新聞配達などで必死にお金を工面しながら製菓学校や旅行専門学校に通ったり、旅行会社や喫茶店で働いたり…。祖父母に仕送りしつつ、必死に自分の道を探し求めていた。「いつか自分に合う仕事が見つかるはず。そんな思いでした。でも、どれも失敗とは思ってないんですよ。私、プラス思考だから」と明るくさばさばした口調で話す。
 そんな日高さんに転機が訪れたのは、22歳のとき。普段はほとんど見ないテレビをつけたら、ボートレーサー募集のCMで「ボートに乗って年収1000万円」という言葉が飛び込んできた。1000万円という金額に惹かれ、履歴書を送った。「ボートがどんなスポーツか知らなかったから、試験会場で走るボートを見たときは言葉を失いました。スピードと、次々とひっくり返って冷たい湖に身を投げ出される光景に…」。それでも33倍の難関を突破し、養成所へ入所した。

覚悟を決めて、命を懸けた真剣勝負の世界へ

 1年間の訓練は、過酷だった。ボートは時速80kmに達し、転覆して水面に投げ出されると、後続のボートにひかれて命を落とす可能性も。一瞬たりとも気を抜けない。入所から2か月、同期生が上達するのに、日高さんはまともに走ることすら難しい。恐怖感と自信喪失がピークに達し、辞めようと決意。通りかかった教官に「私、辞めます。帰ります」と告げると、思いがけない言葉が返ってきた。「まあ、落ち着け。お前の作文を読んだが、帰るところなんてないじゃないか」。それは、入所すぐに書かされた作文のこと。日高さんは両親の離婚などもあって、小さなころから働き続け、職を転々としたことを正直に書きつづっていた。教官はその内容を覚えていたのだ。そして「実は俺もお前と同じ串間の人間だ。負けるな」と声をかけてくれた。「温かい心にふれてうれしかった。『私にはこれしかない』と思い直しました」。
 もう一度だけ辞めたいと思ったのは、同期のエースの落水事故を目の当たりにしたとき。「水面が真っ赤に染まり、救急車に乗せられた彼の顔から血が吹き出していました。その光景が何度もよみがえり、体が震えるほど怖くてたまらなくて。もともと私には才能がないから人の何倍も練習していたけれど、恐怖心を追い払うため、さらに練習に打ち込みました」と明かす。

好きな仕事だから、やれるところまでやる

 福岡支部に配属となり、ボートレース芦屋でデビュー。ストイックに体作りをして、貪欲なまでに勝ちにこだわる日高さんは、3度目のレースで早くも1着をとり、その後もぐんぐん成績を伸ばした。
 全国でレースに挑むため、1か月のうち20日ほどは家を空ける。34歳で結婚した夫は東京在住だったが、自分が福岡で“主夫”をすること、日高姓になることを快諾。おかげで日高さんは、2児を出産後も2か月で仕事に復帰した。「優しい夫を信頼しているから、何でも安心して任せられる。産休明けにボートに乗るときは、うれしくて楽しくてたまらなかった」と笑顔をみせる。
デビューから28年、今はママレーサーも多いという。早朝1時間のヨガで心身を整えるのが日高さんの日課だ。「1日でも長くボートに乗り、1回でも多く勝ちたい。57歳の女性レーサーもいたし、やれるところまでやる」ときっぱり。そして、「あきらめなければ、絶対にいろんな道がありますよ」とにっこり笑う。自分にウソをつかず、いつでも前を向いて全力で駆け抜けてきた日高さんの挑戦は、まだまだ続く。

(2013年6月取材)

コラム

私の大切な時間

  「独身のときは、優勝しても負けてもひとり。家族ができてからは、喜びは何倍にも膨らみ、落ち込んでも次に頑張ればいいと思えるようになりました」とうれしそうに話す日高さん。月20日ほどのレース期間中、家族はもちろん外部との連絡は一切禁止。家族がボートレース場で観戦することも許されない。「レースに行く前は、必ず娘たちとハグします。その瞬間が本当に幸せですね」。家族の存在が、かけがえのない原動力となっている。自宅で過ごすときは、子どもの弁当やお菓子も作る。それは「家を不在にしたことの罪滅ぼしとかじゃなくて、自分がしたいから」とあくまで自然体だ。

プロフィール

宮崎県都城市生まれ。小学1年生のときに両親が離婚し、同県串間市の祖父母宅で育つ。地元の高校を卒業後、信用金庫や東京の旅行会社を経て競艇の養成所に入り、1985年にデビュー。34歳で結婚して、ふたりの女の子を出産。著書に『私は、迷わない。』。夫の邦博さんも著書『逸子さん、僕が主夫します!―競艇のグレートマザーに恋して』を出版。福岡市の公民館などで講演活動をしている。






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