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田中 眞紀(たなかまき)さん

JCHO久留米総合病院 (旧:社会保険久留米第一病院) 病院長

コツコツやっていれば、誰かが認めてくれる

 エレガントな佇まいに、とびきり温かい笑顔とまなざし。2012年、社会保険久留米第一病院の病院長に就任した田中眞紀さんは、一瞬にして相手の緊張をといてくれるような雰囲気に包まれている。公的病院で女性が病院長を務めるのは、極めて稀なこと。まだ女性医師が珍しかった時代に医師となり、結婚・出産後も働き続け、自らの人生を切り拓いてきた。

完全なる男性社会で自分の道を模索

 外科医である父の姿を通して、幼いころから医師という職業を意識していた田中さん。自分の想いを初めて父に打ち明けたのは、高校生のときだった。「医学部へ進学したいと話したら『一生、仕事を続ける覚悟でやりなさい』と言われ、心にズシリときました」。久留米大学の医学部に入学。女性は1割にも満たない中、あからさまに「女は目障り」「続くわけがない」という激しい逆風にさらされ続けた。それでも、花形だった外科で消化器を専門に。当時、外科の女性は田中さん一人で、当直も男女同室。心の奥底で「女性医師には道がないのか…」という疑問が揺れていた。その疑問がピークを迎えたのは、31歳で出産して職場復帰を果たしたとき。「たった6か月のブランクでしたが、同期がバリバリ働く姿を見て、自分だけ取り残され、別の次元にいるような感覚に襲われました」。そんなある日、仕事の当番表から田中さんの名前が消されていた。「育児中の私を気遣い、仕事を減らしてくれたのだと思います。でも、『やはり私は必要とされていない』とひどく落ち込みました」。よきパートナーである医師の夫にすら相談できず、「あのころはとにかく気持ちが沈んでいました」と振り返る。

方向転換をきっかけに新たな扉が開く

 けれど、そこでくじけるような田中さんではない。「人気の消化器科にいても、育児中の私には仕事が回ってこない。マイナーな分野のほうがいいのではと考え、興味のあった乳腺外科を専門にしました」。出張も当直もほかの人と同じようにこなし、学会にも積極的に参加。1990年、35歳で久留米第一病院の外科健診部長に就任すると、まだ日本にあまり普及していなかったマンモグラフィーを導入して、乳腺外科を発展させていった。
 2002年には、国内ではほとんど前例のなかった女性外来を開設。「女性の患者さんから、受付の男性にいろいろ聞かれるのは抵抗があると投書があったり、女性医師に診てほしいと言われたり。患者さんの声がきっかけでした」。受付から技師、看護師、医師まで、スタッフ全員が女性。田中さんが率いる準備委員会では自分たちが意見を出し合い、一丸となって取り組んだ。その結果、スタート直後から患者が殺到し、成功事例として大きな注目を浴びた。
 そうして2012年4月、田中さんは院長に抜擢された。「仕事をいただけるのは、相手が自分に期待してくれているから。仕事のない時期を経て、どんな仕事も断らずベストを尽くしてきたからこそ、今の私があるのだと感じています。コツコツやっていれば、誰かが見ていて引き上げてくれる。私も部下に仕事を任せることで、意欲を引き出し伸ばしたいと考えています」。
 「私の自慢はですね」と、田中さんがひと際うれしそうな笑顔で切り出した。「うちのスタッフが、プライドを持って仕事をしていることなんです。認定看護師や全国から講演によばれる技師もいて、意欲的に学び成長して、とても素晴らしい仕事をしてくれるんですよ。スタッフが誇りを持ち、地域に愛され貢献できる病院づくりを進めています」と語る。
 院長として病院全体をマネジメントする一方で、乳腺外科医としての職務も継続。「現場で患者さんやスタッフと接することで、見えてくることがたくさんあります。多くの病院がある中で、うちを選んで来てくださる患者さんは涙が出るほどありがたくて、感謝しています。いつも最高の医療を提供したい」と原点を忘れない。

誰もがロールモデルになれるのだから

 女性が働きづらい時代を打破し、一歩ずつ前進してきた田中さん。出産後に恩師の妻からもらった電話は、今でも強く印象に残っているという。「あなたの後に女性が続くわねと言われたんです。私はロールモデルなのだと自覚しました」。今は働く女性に対して、社会制度も整備されてきた。とはいえ、仕事と家庭の両立は難しいと尻込みする女性も多い。田中さんもかつては、同じ悩みを抱えていた。「幼い子どもたちがいて、仕事も多忙を極めたとき、夫が言ったんです。『このままではダメになる。お手伝いさんを雇おう』と。私の給料は託児とお手伝いさんへの支払いで消えていく。でも、それは自分への投資だと信じていました。30~40代は一番エネルギーが満ちていて、体力もあり、自分を伸ばすベストな時期。親が強い意志さえ持っていれば、子はきちんと育つから大丈夫ですよ」。悩める女性たちの背中を力強く押してくれる田中さんに励まされ、新たなロールモデルが次々と巣立っていくに違いない。
(2013年3月取材)

コラム

私の大切な時間

ほぼ毎週、本部のある東京へ出張に行くという田中さん。「出張のときに素敵なホテルに泊まって、マッサージを受けると、日ごろの疲れがとれます。80代の女性にマッサージしていただいたとき、50肩にはこんな運動がいいと教えてもらい、肩の痛みが治ったこともあるんですよ」と笑顔で話す。そしてもう一つ、田中さんを魅了しているのは着物。「40歳から着物に興味を持つようになりました。全国の着物を見たり着物について語り合ったりするのが好きで、年に数回は着物で出かけます」。

プロフィール

1980年に久留米大学医学部卒業、同第一外科講座に入局。90年に旧社会保険久留米第一病院の外科健診部長となり、2000年外科部長、2012年には病院長に就任。2014年4月、社会保険久留米第一病院は独立行政法人地域医療機能推進機構が運営する病院に移行し、病院名が「独立行政法人地域医療機能推進機構(JCHO)久留米総合病院」に変更。
2011年、久留米大学医学部客員教授に就任。
日本乳癌検診学会理事、日本外科学会指導医、日本乳癌学会乳腺専門医。同じく福岡県内の病院で院長を務める夫、一男一女の4人家族。
2013年11月、第12回福岡県男女共同参画表彰(女性の先駆的活動部門)受賞。






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