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原田 君子(はらだきみこ)さん (2013年1月取材)

【ロールモデル】
ロールモデルとは

「くるんて~ぷの会」代表、特定非営利活動法人「NGO福岡ネットワーク」 事務局長、NGO相談員

支援を必要とする人たちがいるから

 経済的な理由で学校へ行けないタイの子どもたちに、教育資金を提供する福岡のNGO「くるんて~ぷの会」。2代目代表として、約20年にわたり活動を続けてきたのが、原田君子さんだ。「会に入るまで海外に行ったこともなければ、NGOが何かも知らなかった」というが、今では特定非営利活動法人「NGO福岡ネットワーク」の事務局長、さらに外務省委嘱のNGO相談員まで務めている。親しみやすい人柄の原田さんが表情豊かに語った、これまでの軌跡とは―。

10数年ほどかかわったPTA活動

 栃木県の高校を卒業後、百貨店に勤務。21歳で結婚を機に退社、夫の転勤で福岡へ。1男2女に恵まれた原田さんが「20代から10数年にかけ費やした」というのは、PTA活動だった。「役員決めのときに押し黙る雰囲気が苦手で…。思わず『私がやります』と言ってしまう」。子どもたちが成長して、ようやくPTA一色の生活が終わる。「何か物つくりを本格的に身につけて、いつか教室を開きたい」と夢を膨らませた。
 そんなとき、子どもの幼稚園で知り合ったママ仲間の友人から、タイの話を聞くようになった。「くるんて~ぷの会」が誕生したのは、1992年のこと。新聞社のタイ駐在員だった夫とともにタイに同行した友人が、タイの現地財団でボランティアを経験。福岡に戻ったあと、財団を通してタイの子どもたちへの教育里親活動の団体を立ち上げた。「はじめのうちは断りました。自分の時間がもてるとほっとしていたときだったから。でも、何度も話を聞き、年間6,000円で会員ならと入会しました。それから『手伝って』と頼まれ会計、副代表に。ただ、自分では深入りするつもりはまだありませんでした」と打ち明ける。

思いもよらぬ展開に戸惑って

 会の設立から4年後、友人がガンで亡くなったことを、その夫からの電話で知らされたという原田さん。弔辞を読んでほしい、会を引き継いでほしいというものだった。「遺言でした。その直後、彼も末期ガンで倒れ、数年後、あとを追うように他界されました」。お見舞いに通った原田さんは、気持ちの整理がつかないまま代表を引き継ぐことに。「その頃はわが子の交通事故も重なり、肉体的にも精神的にもバタバタしていて、笑う余裕すらなかった」と当時を振り返る。
 思い出されるのは、スタディツアーで初めてタイを訪れたときのこと。スラムや児童施設をめぐり、子どもたちの置かれた状況を肌で感じた。人なつっこくて純粋な笑顔に心打たれた。「マイクロバスを追いかけて走ってくる子どもたちを見て、私、号泣したんです。自分の中に眠っていた何かの感情が揺さぶられたんでしょうね」。この子たちを応援したい。その気持ちは、いつしか確固たるものになっていた。

原動力はタイの子どもたちに会うこと

 原田さんが引き継いだ当時は50名ほどだった会員が、今では約160名に。1口月500円の会費を、小学生から大学生までの教育資金に充てている。これまで70名を超える奨学生が卒業。年4回ほど会報を発行するほか、タイ料理教室やスタディツアー、イベントなどを開催している。
 さらに、原田さんにはいくつもの顔がある。国際協力を推進する23団体が所属するNGO福岡ネットワークの事務局長、外務省委託のNGO相談員、佐賀大学の非常勤講師など、活躍の場は広がる一方だ。「最初はどれも自信がない、スキルがないと腰が引けたけれど、今では私なりの役割があると思えるようになりました。同じ一生なら、欲張って生きたい」と語る。平日はほぼ毎日、事務所に通い、自宅でも作業。そんな原田さんを、送迎や皿洗いなどでさりげなくサポートしてくれる夫に、心から感謝しているという。
 「NGO活動がライフワークでしょ、といわれることには抵抗があるんですよ。自発的に始めた活動ではないから…」と素直な想いを口にした原田さん。「でも、活動を通して知り合った多くの仲間がいて、支援を必要とする人たちがいる。活動の向こうにはタイの子どもたちがいることを思うと、簡単には投げ出せない」。スタディツアーで奨学生と面談したとき、大学を卒業したタイの奨学生が、原田さんに「お礼を伝えたくて」と花束をプレゼントしてくれた。「そんな瞬間、全ての苦労が吹き飛びます。タイに行くと、いつも元気になる」とひときわ明るい笑顔をみせる。
 決して、自ら望んだ道ではない。けれど、人から求められ、葛藤を抱えながらも、その想いに応えようと真面目に全力で取り組んできた。その20年もの積み重ねは、原田さんの人生を形づくり、多くの人を支えている。      

                                  (2013年1月取材)

コラム

わたしの大切な時間

 原田さんの趣味は、10年ほど前に始めた織物。「ずっと前から魅かれていたけど、忙しくて無理かなとあきらめていたら、友人が『時間は作るものです!作れるんです!』と背中を押してくれた」という。3ケ月間の本格的な講座に通い、基本を習得。今は週1回の教室と自宅で、タペストリーや小物などを制作している。「織物は糸を染めて、機にかけて、織って…とすごく手間がかかって、気持ちが無になれるんです。きっかけをつくってくれた友人には、真っ先に自作のストールを贈りました」

プロフィール

栃木県日光市生まれ。地元の高校を卒業後、百貨店に勤務して、21歳で結婚のため退社。夫の転勤に伴い、石川から沖縄、福岡と移り住み、1男2女を出産。1994年に「くるんて~ぷの会」の会員になり、96年から同会の代表に。2007年から「特定非営利活動法人NGO福岡ネットワーク」事務局長、NGO相談員を務める。また、2012年度には佐賀大学で国際協力論について講義を担当。5人のお孫さんがいる。

 

 

 

 


 

 

 

 

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