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下村 恵美子(しもむらえみこ)さん

取材時:社会福祉法人宅老所よりあい 代表施設長

お年寄りから家族の絆を学ぶ

 

祖母の介護と母の看病

 地下鉄の最寄駅から徒歩3分。福岡市中央区の住宅街にある1軒の木造民家が「宅老所よりあい」だ。認知症のお年寄りが、住み慣れた地域で暮らし続けられるようにと作られた「よりあい」の代表を務めているのが下村さんである。
 下村さんが福祉に目を向けたきっかけは、祖母の認知症だった。「本当は70歳を超えているのに、その日によって口にする歳が変わるんです。頭の中にタイムマシーンが入っていて、過去と現在を往復しているようでした。10年ほど自宅でゆるやかにぼけていった祖母は82歳で他界しました」と言う。
 その頃、母がガンに侵された。母を看病するため、下村さんは勤めていた金融機関を辞めた。母が先に亡くなり、後を追うように祖母が逝った。
 これからどうやって生活していこうかと考えた下村さん。「かつては、お金が相手の仕事をしていたので、今後は介護の経験を生かして人間相手の仕事をしたい」と思うようになり、30歳で福祉大学へ入学した。

お年寄りの生活のペースを変えない

 福祉大学卒業後、デイサービスセンターや特別養護老人ホームで勤務した下村さん。同じ老人ホームで働いていた2人の仲間と協力して、1991(平成3)年に「宅老所」を開設。これが、後に「宅老所よりあい」となる。
 「1人のお年寄りと出会いがきっかけになりました。『お年寄りが、住み慣れた町で暮らし続けられたら…』」という下村さんの思いは今でも変わらず、「よりあい」では、地域で暮らす認知症のお年寄りが通ったり暮らしたりしている。「お風呂やお食事だけでも利用してもらい、ご家族の方が“頑張れないとき”を支える」ためだ。
 また、お年寄りの生活のペースを変えないように気を付けていたため、初めは「お年寄りが、暮らしていた町からなるべく離れずに済むように」と、お寺の茶室を借りて運営していた。徐々に認知され、地域の人たちにも受け入れられるようになってからは、バザーを行って資金を集め、“宅老所”を現在の場所に移した。
 「なるべく自宅での生活が長続きする、継続できるように、『ギリギリまで動かなくてよい施設』でありたいんです」と下村さんは語る。

家族から介護を奪ってはいけない

 「よりあい」では当初、「家族に代わって全面的に、最後まで支える」とスタッフ全員が思いながら介護をしていた。その考え方が変わったのは、あるおばあさんを看取ったときだ。
 その人の娘さんに「近くに寄って体を触ってあげて下さい」と声をかけた。スタッフはなんとか生き延びてほしいと、おばあさんの名前を連呼していた。そのとき、娘さんがこう切り出した。「自分は娘として失格だ。お風呂で背中を流したこともない。母にとって、あなたたちが娘であり孫です」と。
 「そこまでやってはいけないとハッとしました。私たちは介護職ではあるけれども、家族に成り代わることはできないし、家族が遠慮するような状況を作っていました。家族から介護を奪ってはいけないと気が付いたんです」と語る。
 最後に下村さんは言う。「例え肉体的な労力のいる介護ができなくても、家族にしかできないことはあります。ほんのちょっとでいいから、お年寄りの身体に触り続けてほしいと思いますし、そのために私たちは存在するのだと思っています。ご家族と私達がお互いに協力し、できることを見つけ出すことが大切です」と。
(2011年3月取材)

コラム

介護は本当は面白い

 下村さんに、介護の魅力についてうかがうと、「介護の仕事は本当は面白いんです。お年寄りが、ご自身の昔の思い出や、生活の知恵を語ってくれます。一緒にいると、様々な事を考えさせられます。家族がどうあるべきか、自分がどう生きていけばいいのか。そんな体験ができる職場、他にはないと思っています」と笑顔で答えてくれた。

プロフィール

福岡県出身。社会福祉士、介護支援専門員。
高校卒業後、金融機関で8年間働く。祖母の認知症をきっかけに、30歳で福祉大学へ入学。卒業後、デイサービスセンター、福岡県内の特別養護老人ホームで働き、1991(平成3)年11月に宅老所を開設。
2015年3月まで「宅老所よりあい」代表、「福岡県ひかり福祉会」常任理事を務めた。
著書に「98歳の妊娠」(雲母書房)、「あれは自分ではなかったか」(ブリコラージュ、共著)などがある。




 

キーワード

【さ】 【起業】 【福祉】

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