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【センター長コラム】 均等法の父

こんにちは。

今日は、木に咲く花の、海棠(カイドウ)と小手毬(コデマリ)、草花のフリージアと西洋十二単(セイヨウジュウニヒトエ)の写真をお届けします。十二単という名前は、花が幾重にも重なって咲く姿を平安装束の十二単に見立てたもので、日本の原種の十二単は白色とのことです。

 

 
 

今回は、「均等法の母」と言われている赤松良子さんが、「均等法の父」の名はどうしてもこの方に捧げたいとおっしゃっている方のお話です。

 

その方は、坂本三十次さん、男女雇用機会均等法が成立したときの労働大臣です。

 

赤松さんは、坂本さんについて、「時代を視る目のある方」で、「『男女雇用機会均等法』制定のたたかいを支え、導いてくださった方として忘れられぬ人である」とおっしゃいます。(『続々 忘れられぬ人々』(2019年、ドメス出版)

 

以前のコラムでお話したとおり、女子差別撤廃条約を批准するために1985年に制定された男女雇用機会均等法ですが、経営者側と労働者側の主張が激しく対立したので、制定作業は難航を極めました。労働省内部でさえ法制定に否定的な空気がありました。

 

そのような中、1983年12月に実施された総選挙後に組閣された内閣に、坂本さんが労働大臣として入閣したのでした。

 

坂本大臣は、就任会見で、労働省が抱える重要課題は何かと問われ、均等法の成立と答えたのです。

 

新大臣がやる気満々ということが伝わると、労働省内の空気は見違えるように変わったということです。

 

赤松さんは、著書『均等法をつくる』(2003年、勁草書房)に、「それまで気は焦ってもブレーキがかけられていたような状況から一転して、「前進!」となった感がして1984年の初頭から私たちは、エンジン全開して動き出した」と記しています。

 

そして、苦労に苦労を重ねってやっと上程できた法案でしたが、差別禁止は、教育訓練、福利厚生、定年・退職・解雇だけ、募集・採用や配置・昇進は努力義務、罰則規定はなし、女子保護規定は一部廃止するというものだったため、国会で議員から、財界からの圧力に屈したこんな法律しかできないのなら赤松局長は辞職せよという発言が出たことも、前のコラムでお話ししました。

 

そのとき、坂本大臣は、次のように答弁したのです。

 

「この雇用機会均等法が通れば、婦人の地位は必ず前進すると私は思います。赤松局長の責任問題をあなたがおっしゃいましたが、赤松局長はベストを尽くしたわけであります。責任は私にあるわけであります。私の判断で、この法律は国民に期待されるものと信じて提出したわけであります。」

 

部下は報われますよね。

トップが姿勢を示すことで、部下もやる気を出し、仕事も進んでいくとものだとつくづく思います。

 

そして、男女共同参画を進めてきたのは、女性の力が大きいことは確かですが、私たちは、女性の地位向上に大きな役割を果たした男性がいることも、忘れてはなりません。時代を動かすのは「人」なのです。

 

 

終わりは、マイ農園の写真です。

前回のコラムで、山椒に小さな実がつき始めたと写真を載せましたが、あれは実ではなく、花のつぼみでした。いま、地味な花が咲いています。

 

畑仕事をするにはまだ地温が低いので、もっぱらベランダでの作業です。プランターにゴーヤを植えました。イチゴには花がたくさんついています。昨年の敷き藁についていた種から麦が発芽したので、そのまま育てたら、穂が出ました。強い生命力に勇気をもらえます。

 

ではまた。

                              (2020.04.14)

  
 

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