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【センター長コラム】4月10日 何の日?  (2020年4月8日配信)

こんにちは

今回のトップの花は、「よき便り」という花言葉を持つスイセンアヤメ(スパラキシス)です。

黄色の花は黄梅(オウバイ)です。まだ寒さが厳しい2月ごろから咲いている花で、春の訪れを感じさせてくれる「期待」という花言葉を持っています。

 
 
 

さて、「4月10日、何の日?」と聞かれたら、何の日を思い浮かべますか。

我が家で夫から返ってきた答えは、「上皇様と上皇后様のご成婚の日」でした。

 

確かに、お二人のご成婚は、1959年(昭和34年)4月10日。年配の方は記憶にあるかと思いますが、この日は、お二人が馬車でパレードされる様子が、テレビで中継されました。全国的な祝賀ムードは「ミッチーブーム」と言われ、パレードを見るために、全国の家庭にテレビが普及したと言われます。

 

当時、私の住んでいる農村の集落には、テレビがある家は2軒しかなく、私は、誰かに連れられて近所の家にパレードを見に行ったことを覚えています。

 

その後ほどなくして、我が家にもテレビが来ました。

 

実は、私がお話ししたかったのは、もっと前、1946年(昭和21年)4月10日の出来事です。この日、日本の女性が、初めて、国政選挙で投票をしたのです。「婦人参政権」の実現です。

 

第2次世界大戦後のわが国の民主化政策の中で、婦人参政権の実現は最重要かつ緊急の課題で、政府は、1945年10月11日午後の閣議で、女性に参政権を与えることを決定しました。(1日前の10月10日に決定したと書かれた書物がありますが、当時のいろいろな史料を調べたところ、決定は10月11日です。)

 

そして、12月15日に、衆議院議員選挙法の改正案が成立し、20歳以上が選挙権を有し、25歳以上が被選挙権を有すると定められ、翌1946年4月に行われた衆議院議員選挙で、女性が初めて参政権を行使したのです。

 

この選挙の女性の投票率は67%、1,377万人の女性が投票しました。ちなみに男性の投票率は78.5%でした。

 

立候補した女性は79人、そのうちの39人が当選しました。

 

このように多くの女性が当選したのは、「大選挙区制限連記制」という選挙方法がとられたことによるもので、大選挙区制限連記制の「魔術」とも言われました。

 

「連記制がよい意味にせよ、悪い意味にせよ、思わぬ結果を見せて、意想外の人、並びに婦人の進出が著しかった」という新聞記事があります。

 

大選挙区制がとられたのは、戦後の混乱のため、人口の大移動が起こっており、それまでの中選挙区のままでは不都合があったことと、従来の選挙地盤を打破し新人を出して議会を一新するという意図があったからです。そして、大選挙区となり定数が増えるので、それぞれの選挙区の定数に応じて、1人を投票、2人を連記して投票、あるいは3人を連記して投票としたのです。

 

しかし、この大選挙区制限連記制は、1947年3月の衆議院議員選挙法の改正によって中選挙区単記制へと変更され、4月に行われた選挙で、女性議員は15人となりました。

 

法の改正によって、女性議員が減少することは誰の目にも明らかで、その懸念も示されましたが、法案は成立、直ちに衆議院が解散され、選挙の結果、女性議員は半分以下に減ってしまったのです。

 

その後、10人前後の状況が続き、39人を上回るのは、43人が当選した2005年(平成17年)の総選挙です。それまで、実に60年近くのときを要したのでした。

 

直近の2017年の総選挙では47人の女性が当選しましたが、今年1月に列国議会同盟(Inter-Parliamentary Union:IPU)が発表した、世界の下院(衆議院)の女性議員の割合ランキングによると、日本は、191か国中165位という状況です。

 

4月10日という日、我が国の女性の政治参画を考える参考にしていただければ幸いです。

 

終わりは、マイ農園の写真です。

山椒が小さな実をつけています。葉っぱをさわると、一面に山椒の香りが漂います。グミに花が咲きました。地味な花ですが、梅雨どきに赤い実をつけます。

 ではまた。                          (2020.04.08

 

 

 

 

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