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池野 京子(いけのきょうこ)さん

「福岡県翼の会」 顧問、福岡県歌人会監事

様々な役職を通じて、女性の地位向上に尽力

 歌人として活動しながらも、会社の経営者、PTA会長、教育委員、女性政策懇話会委員、家庭裁判所の調停委員など、数々の役職を経験してきた池野さん。「人に頼まれたら、断わらないの」と大らかに笑い、明るく優しい笑顔でこれまでの歩みを語ってくれた。

「男女は平等、勉強が大事」という親のもとで育つ

 東京で生まれ、小学5年生のとき福岡市へ。「東京弁を話すから“東京嬢ちゃん”と近所の子にはやされましたね」と懐かしそうに目を細める。7人兄弟の上から2番目で、面倒見のいいタイプだった。当時の学校教育は、女性は料理と裁縫、男性は職業訓練というように、男女で明らかな差があった。大学まで進学する女性はごくわずかだったが、大学教授の父親は「男女は平等。男も女も勉強が大事」という考えの持ち主だった。
 1950年、福岡女子大学に1期生として入学。「女に学問はいらないという親の反対を押し切り、勉強したい一心で入学してきた友人もいました。初代学長も、女学生たちの学習意欲に大変感心されていました」と振り返る。大学を卒業後、25歳で公務員の男性と結婚、婚家の関連会社の経営に従事しながら、4人の息子を生み育てた。

小中学校のPTA会長、さらに教育委員に就任

 1975年、43歳で思わぬ転機が訪れる。息子が通う小学校の校長から「これからは女性の時代。ぜひPTA会長になってほしい」と請われ、PTA会長に就任したのだ。「男女で差があってはいけないと常々考えていましたが、まさか女性が会長になれると思っていませんでしたので、話をされたときは本当にびっくりしました。でも、私、今まで断わったことはないんです。頼まれるということは、私にできること、期待されていることがあるのだから、できないとは思わないの」ときっぱり。福岡市内で2人目の女性会長として話題になった。その後、中学校のPTA会長も務めた。
 実際、会長になると「やってみれば、できるんですよ。母親の立場でいろんな意見を言えました」。さらに2年後、福岡県の教育委員に推挙されて4年間務めた。女性の委員就任は、実に19年ぶり。世間の注目を集め、新聞各紙でも紹介された。「女性は私だけでしたが、違和感はありませんでした。いろんな方と意見を交わしたかったので、会合の度にどなたかにお声がけして、食事しながら語り合いました。委員の方も、一対一でしっかり話せば、わかってくださるんですよ」と微笑む。委員会では「女子は家庭科、男子は技術科と教科をわけるのはおかしい。男女平等の教育の手引きを作ってほしい」と提案。退任後に願いは通じ、90年代に中学校で男子も家庭科が必修となった。

もっと政治や社会に興味を持ってほしい

 活動の舞台は、さらに海外へと広がった。世界でも女性差別の根絶が叫ばれ、1979年国連総会において「女性差別撤廃条例」を採択、日本は85年に加入した。その前年、池野さんは福岡県「女性研修の翼」の団長に任命され、20人の団員と共に米国とカナダを視察。議会で活躍する女性は極めて少ない中、団員のうち3人が地方議員になったのは快挙といえる。ただし、池野さん自身は政界を目指さず、「あくまで一市民」という立場を貫いて活動。1985年の第3回世界女性会議(ナイロビ)、 95年第4回世界女性会議(北京)NGOフォーラムなど、女性の地位向上を進める国際的な運動に参加してきた。
 さらには、家庭内紛争の解決を図る家庭裁判所の調停委員を14年、犯罪や非行をした人の更生を支える保護司を20年務めた。80歳で公職を退き、現在は各地に招かれて講演を行っている。
 長年にわたり、女性の地位向上をはじめ、よりよき社会や人々のために力を尽くしてきた池野さん。どんな依頼でも自分に何かできると信じ、どんな相手でも話せばわかってくれると信じて、ひたすら前を向き行動してきた。「世界的にみて、日本は政治や経済の分野で女性の進出が遅れています。誰もが自分の能力を活かせる社会をつくるためには、女性議員を増やし、政策を変える必要がある」と力説する。だが、政治と聞くと、身構える女性も多いだろう。「私ね、いろんな女性から、池野さんは委員や議員さんたちと難しい話をされているのでしょうと言われたりするの。そんなことない、普通の話なんですよ。政治は私たちの生活、そして将来につながるもの。だから、女性にもっと社会や政治に目を向けてほしい。あとに続く人たちに頑張ってほしいと切に願っています」。 (2015年1月取材)

コラム

私の大切な時間

 小さなころから文章を書くのが好きで「日常生活のささやかなつぶやき、そのときどきの思い、政治や社会への憤慨などを、私の生きた証として残しておきたい」と本格的に短歌を始めて40年。折に触れて歌を詠み、歌集「女ら集ふ」「清水 湧き継ぐ」を出版。平成24年度福岡市文学賞(短歌)を受賞した。「忙しい生活の中、歌をやめたら楽だろうなと思ったこともありますが、歌を詠むことで私はずいぶん慰められ励まされてきました。短歌は、私の人生になくてはならないものになりました」。

プロフィール

1931年東京で生まれ、11歳で福岡へ。福岡女子大学生活科学科(当時)を卒業後、結婚して男の子4人を出産し、1968年に会社役員となる。1974年から地元の小・中学校のPTA会長となり、福岡市PTA連合会理事(女性代表)を経て、日本PTA創立30周年記念日本PTA全国協議会長感謝状を授与される。1981年から福岡県教育委員会委員を務め、福岡県女性政策懇話会委員、福岡家庭裁判所家事調停委員、保護司、保護司選考会委員などとしても活動。また、1984年に福岡県「女性研修の翼」団長となり、第3回世界女性会議(ナイロビ)、 第4回世界女性会議(北京)NGOフォーラムにも出席。2013年3月平成24年度福岡市文学賞(短歌)を受賞。残生の 主張のごとく ビルの間に まなく沈まむ 日は輝きぬ (清水 湧き継ぐ)






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