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荒木 光子(あらきみつこ)さん

添田木材有限会社 代表取締役  筑豊地区女性林業研究グループ 会長

不幸も困難も乗り越え、地域の林業を支える

 田川郡添田町。霊峰英彦山(標高1200M)をはじめ、緑豊かな山々に抱かれたこの町は、面積の約84%が森林地帯だ。優良な木材の産地としても知られるこの地で、亡き夫の後を継ぎ36歳で製材所を経営することになった荒木光子さん。4人の子どもを抱え、夫の両親の世話をしながら、たくましく生きてきた女性社長だ。

「泣いたってしょうがない」

 「考えてみたら、つらかったことはあまり思い出さんちゃんね」。サラリと笑顔で語り始めた荒木さん。19歳で結婚し一男三女を授かったが、36歳の時、夫を病気で亡くすという不幸に見舞われた。夫は家業である添田木材の二代目社長だった。同居していた夫の両親はすでに80歳を過ぎており、荒木さんは「何をどうすればいいのか」と戸惑った。実家も製材所だったが、それまで事務の経験しかなく製材の知識は夫の病気療養中に少しかじった程度だった。だが悲しみにくれる間はなく、自ら木材の仕入れに走り回り、経営管理にも携わることに。当時、4人の子どもたちは中学2年生から2歳までと、まだまだ手のかかる時期だったが、子育ては義母が一手に引き受けてくれた。「義母は明治生まれの気丈な女性でした。大事な息子を亡くしたのに私のことを気遣って、『子どもが4人おるんやけん、あんたの方が生き残ってくれてよかった』と言ってくれた。この母を大事にせないかんと思いました」。そうして荒木さんの奮闘は始まった。「泣いたってしょうがない。一日一日をしっかり生きていくしかない」と心に決めて。

経営難を克服し、新たな展開へ

 しかし、いざ会社の実情に目を向けてみると、経営状態は火の車だった。まず過剰な在庫をさばくこと、多大な借入金を返済することに着手した荒木さん。「優先したのはマイナスをなくすこと。男の人なら違う判断をしたかもしれんけどね。でもそれが結果的に良かった」。1983年当時、流通に変化が起き始め、筑豊地域にも卸や代理店を通さない木材の直需市場が登場した。同業者が次々と廃業していく中、商品の仕入れなど独自の方法を開拓し、徐々に経営を立て直していったのだ。
 一方で設計の勉強にも取り組んだ。「駆け出しの女社長に仕事を任せて大丈夫やろか?と不安を与えないために、まずは設計図をしっかり読めないといかん」と。当時、田川市で週に一度、設計の出張講座が開かれていて、約一年間、夜間講座に通った。「母さん、またおらんやん」という子どもたちの言葉に胸を痛めながら。日中は木材の仕入れや製材の指示、経理の仕事と目まぐるしい毎日。「あの頃はただ必死で、『母親する』時間なんてなかった」と振り返る。
 外国から安い木材が入ってくるようになっても、荒木さんがこだわり続けたのは地元の木材だった。世間でログハウスが脚光を浴び始めた頃、設計プランを立てられるようになっていた。添田町のふるさと祭りで参加者を前に地元の間伐材を利用してログハウスを建てる実演を行った。女性が大きな木材を使って家を組み立てるという大胆な光景に周囲は驚いたという。「地元の木材もPRしたかったし、間伐材の利用についても知ってほしかった」。それがきっかけとなり、英彦山野営場には地元の木材を使ったログハウスやロッジが建つことに。そして荒木さん自身は、森林という大きなテーマに目を向けることになったのだ。

林業のまち「添田」とともに

 時流を読み、地域に目を向け、発想したことを着々と実現して、仕事の幅を建築業へと広げていった。1987年に建設業の許可を得、1995年に有限会社エムエスハウゼを設立。現在、添田木材とエムエスハウゼは同じ社屋の中に事務所を構え「山林から住まいまで」と銘打って、山林の育成をしながら製材や住宅の施工を手掛け、公共工事なども請け負っている。
 さらに社会活動や男女共同参画の活動にも取り組むようになった荒木さん。2007年、嘉飯山・直鞍・田川地域の林業や木材、花木の仕事に携わる女性たちで「筑豊地区女性林業研究グループ」を発足させた。間伐の意味や植林の大切さを訴えながら、木に親しんでもらいたいと「木育」を実践中だ。その一環として2012年に実施した「たんとの森林活用プロジェクト」では、子どもを対象に間伐材を利用した「もりのきしょうぎ」のゲーム盤・コマ作り、大学生や社会人を対象にしたチェーンソーを使っての杉の間伐・除伐作業体験などを行った。また森林の大切さを知ってもらおうと地元の小学校で出前授業なども行っている。
 「森や木は昔から人の暮らしとつながってる。長いスパンで考えて林業そのものの継続性を大切にせんといかん。それから、地元の木材を使って地元の職人さんが地元で仕事をしていく『地産地消』も大事にしたい」。荒木さんの言葉に一層力がこもる。

「落ちても這い上がればいい」

 確固たる信念と困難をも笑い飛ばして進んできた荒木さんが、涙を浮かべたのは最後に実家の話になった場面だ。「夫が亡くなった時、父が『帰ってこんでいいか?』と言ってくれた。帰れるはずはなかったが、明治生まれの厳しい父の一言がありがたかった」と。
 「物事はやってみないとわからない。川の向こうに行きたいと思えば、とにかく橋を渡ってみればいい。落ちてもいいじゃん、もう一回這い上がれば」。ぬかるんだ道も一歩ずつ踏みしめ歩いてきた荒木さんの言葉は多くの女性に勇気を与えるに違いない。 (2013年5月取材)

コラム

夫へのメッセージは?

 事務所には、他界した義父と夫の遺影が並べて掲げてある。荒木さんは、夫の両親2人が100歳を超えるまで自宅で面倒を見た。4人の子どもたちは成人し、息子は他社の勤務経験を経てエムエスハウゼで働く。8人の孫にも恵まれた荒木さん。「これまでの私を見て、夫はたいがいビックリしとるやろうね」と笑う。今、夫に伝えたいことは?と尋ねると「(親子二代で築いた会社にどんどん新しいことを取り入れたから、)きっと夫の方が私に何か言いたいばい」と首をすくめ、無邪気な一面も見せてくれた。

プロフィール

1946年、田川郡赤村で8人きょうだいの5番目として生まれる。地元の高校を卒業後、経理事務所に勤務し、19歳で結婚。36歳の時、添田木材の二代目社長だった夫を亡くし、その後三代目社長となった。1995年に有限会社エムエスハウゼを設立。たんと筑豊型住宅ネットワーク会長・筑豊地区女性林業研究グループ会長・添田町政刷新まちづくり会議委員・添田町観光ガイドボランティア会員など、精力的に地域活動にも取り組んでいる。






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