【田川市元気塾】“ないものねだり”ではなく“あるものいかし”後藤寺まちづくり
3月13日(火)二場市長への提案の後、19時から、後藤寺商店街振興組合で最終報告会が行われました。来賓12名が、二場市長も私服でご参加の中、市への提案内容と活動の報告が行われました。
ないある後藤寺まちづくりの最後?、いやいや、新たなスタートに向けて、とても内容の濃いものでした。
今日は14時から市長提案を行いました。これから、どういう提案内容だったのか、活動を振り返りながらお話ししたいと思いますが、はじめに木藤さんの方からお話しいただきます。みなさんもご存じとは思いますが、油津商店街の元テナントミックスサポートマネージャーの木藤亮太さんです。
商店街のまちづくりとか、中心市街地の再生というのがどういうものかを、もう一度、みなさんの頭の中で共通認識するために、私が昨年までやっていた宮崎の話をちょっとだけしたいと思います。
油津中心市街地活性化事業に取り組んでいました。あくまで、行政がスタートした事業でした。実は行政がやるのは、いろんな公共事業だったり、公共空間の提案だったり、商店街の空き店舗、いわゆる箱モノについてはお金を出すことができる。それをどうやって活かすのかとか、そこにどんな人たちが入っていくのかというのは、市民も一緒になって取り組んでいく必要があるわけです。油津の場合は「応援の連鎖」と書いていますが、市がスタートした事業にどれだけ市民が応援をして、いわゆる官民一体となったまちづくりを進めていくかということに取り組んできた事例です。日南市も田川市も5万人前後の同じような規模です。経済が良かったころは、こちらは炭鉱がメインですし、日南市は漁業や林業があるんですが、その頃は良かったんだけれどだんだん右肩下がりになってきて、小さなまちのチャレンジというところは同じかなと思っています。
油津は、なぜか最近評価をされています。去年の12月に安部首相が記者会見の中で、日南市の油津商店街が素晴らしいということを3分間に渡って評価をいただいたんです。これはなぜかということを今からお話ししますが、その中に後藤寺が目指す将来があるのかなと思っています。
人口減少が始まっています。福岡とか、東京、大阪、名古屋なんかは増えていますけれど、地方都市というのは日本全国どこでも人口が減っています。もちろん、今後は福岡市にしても減っていくことになります。人口が減る、高齢化することを、前提として考えなければならない。商店街というのも、かつては賑わっていましたが、ライフスタイルが変わってきて商店街の捉え方が変わってきた。油津商店街は0に近かった状態で、商店街と市街地の未来を考えないといけなかった。昔は、人通りが溢れていたんです。人口も増えていて、産業も活性化していました。ですが、今から人通りが溢れることはそんなに簡単にはいかない。じゃあどうするかというと、今の時代にできるような人の集め方とか、興味の集め方というのをしっかりと考えなければならない。世の中の変化に合わせて、商店街、市街地というものが変わらないといけないということです。
油津商店街も50年前は賑わってました。おそらく後藤寺商店街もこのころはこれ以上の人がいらっしゃったと思います。ライフスタイルや産業構造が変わっていき、商店街もさびれていったというのも同じでしょう。油津商店街は、昔の喫茶店がカフェとして生まれ変わったり、呉服屋さんの古い建物が豆腐屋さんとして生まれ変わったり、建物が壊された空き地にコンテナを並べて小さなお店が6棟並んでいる。スーパーマーケットの跡もリノベーションして、飲食店と人が集まるスペースを作りました。ここまでは、お店ですが、油津は次の段階として、IT企業のオフィスが商店街の中にできました。働く場所ができることで、ここに来た人が買い物をしたり、食事をしたりしている。花石さんがされているような“働く”をキーワードで商店街に入っていくわけですね。ちゃんこ屋さんの空き店舗には、学生が運営しているゲストハウスが誕生しています。こうして、いろんな建物が今あるものを活かしながら新しくなって、4年間で29の空き店舗が埋まりました。
最近、いろんなところで取り上げていただいてますが、こちらの記事
は「油津商店街は見事再生した」と書かれています。こちらの記事
は「再生した訳ではない」と書いてあります。これは、いったいなんなんだという話。中を読んでいただくと同じようなことが書かれていて、かつてのみなさんがイメージする商店街というのは、八百屋があって魚屋があって果物屋があってという当時の生活のニーズにあったものが並んでいて、それが集客につながっていたわけです。ニーズが変わって、ライフスタイルが変わった中で、今の油津商店街に何があるかというと、もちろん古いお店もありますが、カフェとかゲストハウスとかレンタルスペースとかIT企業とか保育園とかです。いわゆる商店街に分類されないものがたくさんできています。「再生」という言葉にはいろんな捉え方があって、一つは昔良かった頃に戻ろう、というのがありますが、今の時代、昔良かった頃には戻るのは難しい。新しいことに常にチャレンジしていくことが大事で、それが、油津商店街が評価されている要因だと思っています。もちろん商店街には古くからの歴史があり、古いものを否定するわけではありませんが、古いものが邪魔をしているという状況があるのであれば、新しい動きというものを後押しするような空気を作っていくというのはすごく大事です。それが、今、商店街や中心市街地に求められていることではないかと思っています。もちろん、油津のスタイルが全部後藤寺に当てはまるわけでもなく、これが全ての正解ではありませんが、商店街や中心市街地を再生していく際の基本として頭に描きながら、これからの発表を聴いていただければ、みなさんと一緒に未来が語れるのかと思います。
花石さんから、報告書の最初のページの文章と、市
長に提出した提案書の「はじめに」が、読み上げられました。
どちらも、こちらからダウンロードできます。
そして、4月以降も活動の継続を決めた後藤寺三女の1人、今村さんより、今回の提案内容が説明されました。
提案書には、JR田川市後藤寺駅周辺交通網の整備や、駅周辺の駐車場の整備、バリアフリーなどのインフラの整備と、市長提案で各世代がプレゼンした賑わい創出策が盛り込まれています。
花石さん 西日本シティ銀行営業課長の久保さん、前にどうぞ。どういう風にしたら応援してあげれるのかを教えてください。
黒土さん 費用をかけずにどうやるか、糸田町でもやっています。糸田小学校の小学生を撒きこみました。土曜サークルのメンバーみんなで壁塗りをしました。だから手間賃はタダです。糸田町は材料費だけを支給しました。日頃からそんな仕事をしています。例えば予算が400万円しかないときに、どうしても壁面緑化して子供たちを迎え入れたい。そこだけで70万円かかるので、他の費用を抑えたい。そういうときにも先ほどの手を使います。空き店舗の中にはいい材料が沢山あります。それを安く譲ってもらうなどすれば、今は不用品だと思ってるものを使ってとっても素敵な空間を作ることができます。それでも足りなかったら、学生の手を使ってください。デザインはお手伝いさせていただきます。それから、銀行に相談するときは計画書も大事ですが、銀行は計画書を見てません。本気かどうかを見ています。というのも、事業をしたら必ず行き詰ります。その時、本気の人は少々行き詰っても乗り越えられるけど、雰囲気だけでやっている人はちょっと苦しいことがあるとすぐに逃げます。
平成筑豊鉄道株式会社代表取締役社長 河合さん 単なる値引きは我々はできないんですよね。赤字で運営していて、それはみなさんが汗水たらしたお給料ですので、単なる安売りはしません。だからどういった条件でどういったサービスをするかが、私の知恵の出しどころです。今すぐにこれとは言えませんが、値引きはするが全体的にはプラスになって、お客さんも地域も潤うという作戦を考えないといけないと思っています。期間限定が一番わかりやすいかと思っています。答えにはなっておりませんが、検討させていただきます。
構内自動車(株)常務取締役 嘉久さん 今、国でシェアリングエコノミーという話が合って、簡単に申しますと、白タクを雇ってお客さんが必要なときに白タクを呼ぶというサービスです。それを日本で認めるかということが話し合われています。お客さんからすれば便利です。タクシー業界は脅威と捉えていますが、利便性には勝てない。ただ、安易に白タクを許可すると白タクの偽物が出てくる。危ないものは許可できないということもあるので、業界内で議論されています。
石松さん 私は出身が国鉄です。平成筑豊鉄道にも3年ほど出向していました。そういう経験から、公共交通の連携、そして、高齢者社会の中でどういう交通網を作ったらいいのかを考えています。いろんな地域に視察に行ってますが、一番大事なのはその地域に住んでいる人のバスやタクシーへの要望がなんなんだということをしっかりと受け止めて交通体系の中に組み入れる。走らせました、乗ってください、ではなかなか難しい。地域と地域を結ぶのであれば、地域の人に責任を持って、もっと要求を汲みあげていくと乗りやすいものになる。それから、平成筑豊鉄道やJRは接続をしっかりやっていく。このことを私はぜひ進めていきたい。私は、後藤寺三女が自分たちでやっていくという言葉に感動しました。しかと支援をさせてもらいたいと思っています。
芳川さん 都市計画課で、正にまちのデザインを所管する部署にいます。専門職で建築技師です。都市計画というのは建築の分野です。皆さんの目線ももちろん大切ですが、私や黒土さんのような専門家からのここのまちはこういうふうにした方がいいといった意見もある。その2つの意見が混ざり合ったときに面白いことが生まれてくると思うので、今後も、そういうところでお手伝いをさせていただきたいと思います。
浦田さん 最初の頃は、商店街におしゃれなカフェが欲しいとか、かわいい雑貨屋さんが欲しいとか、そういう“ないものねだり”ばかりをしていましたが、回を重ねるごとに“ないものねだり”が実現していくんじゃないかという希望に満ち溢れた後藤寺まちづくりの会だったなーと思っています。今回市長に提案させていただいた内容は、遠い将来ではなく近い将来にできるんじゃないかという力強いお言葉を頂戴しました。プレゼンの後に、お金はなくても今回の後藤寺まちづくりの力強いメンバーがいればできるんじゃないかと話しています。これから2年、3年と輝いた後藤寺商店街になることを願っています、ではなく、輝いた後藤寺商店街にします!
井上さん 先月いっぱいで退きましたが畳屋をしていました。息子が後を継いだので、今後はまちのために、お役に立てることがあればと、今回、参加しました。何年か前から女性参画やまちづくりの協働などあちこちに参加しています。やっぱり、市民が、自分たちが動かないと、行政にお願いばっかりではダメだと思います。今までアンケートを取ってもそれ以降進まないとかある中で、この会は、自分たちでやっていこうというのが伝わって、実現できそうでワクワクしてます。地域には人材もあって、保育士さんのことでも協力しますよという人がたくさんいますし、私もリノベーションするのに、障子や壁の貼り方とか手助けもできます。田川は炭鉱で栄えた町で、昔は長屋で血のつながりはなくても親戚や兄弟のように熱い絆や地域のつながりを大事にしているところで、今もそういう気持ちが残っている方がたくさんいらっしゃると思うので、その人材を活かしながら実現に向けてやっていきたい。行政も豊富な地域の人材を使ってほしい、それを伝えたかったんです。
福岡県立西田川高等学校 統括教頭 西山さん 村上は生徒会の役員でもありますし、今週の金曜日が終業式で時間の余裕もあるので、校長から許可をもらって参加しました。西田川高校は卒業生も2万5、6千人いらっしゃいます。1年生に志望した理由のアンケートを取りました。1番多かったのはおばあちゃんが出た学校です、お母さんが出ました、というものでした。2番目は、交通の便がよい。商店街で雨にぬれずに来れます、というものでした。それを見てとても嬉しかったです。それから、卒業後、地元に残る子が多いので、看護医療系と公務員のコースを作りました。県立大学との連携も行っています。県立大学を志望する学生がいるのでアドバイスをいただけたらと進路指導の先生が相談したところ、学生であればと紹介いただき、運動会の救護や授業参観に来てもらいました。意気投合したのでしょう。自分が授業のないときに来るから、と図書館で勉強を教えてもらっているという報告も受けました。そういった交流も生まれています。
福岡県立大学 教授 田代さん 歴史の長さと人の人生の長さって全然違いますよね。地域社会は、何百年何千年と続きますが、人の人生ってね、毎日毎日忙しいし、そこをどう埋め合わせていくのかが難しいなと思います。提案書を今日、初めて見ましたが、身につまされるものがあり、早く実現できるものは早く実現してあげたいと思います。できることから少しずつやっていくのが肝心かなと思っています。やりたいことがたくさんあっても実現していかないとやるほうもだんだん疲れてきますよね。中高生の居場所とシェアハウスは一緒、シェアハウスの一角にそういう場所ができると勉強も教えたりできる。できることから、そして、できることはサポートしていきたいと思っていますけど、一番の課題は4年で卒業することかなと思います。次につなげなきゃと思います。
後藤寺商店街振興組合 理事長
今村さん 最初にお話しさせていただきましたが、それも記憶に残っていないくらい、次から次にと素晴らしいお話が聞けました。今日は講座ではありませんが、本格的な専門家のお話が聞け、大変、勉強になりました。
