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【センター長コラム】悲しみの記憶

フウセンカズラが実をつけました。これは、ずいぶん以前、「風船蔓」というバンドを結成して演奏活動をしている知人にもらった種から増えた子孫です。フウセンカズラの種は、小さな黒い球で白いハートマークがついています。種も実も、見る人をほっこりさせてくれます。

  
 
さて、現在、あすばるライブラリーでは、終戦の日を前に、「人々の暮らしに見る
戦争」をテーマに、戦時下に生きた人々の暮らしなどに関する書物を展示していま
す。今回のコラムは、先の戦争が人々の心に残した悲しみの記憶について、お話し
したいと思います。

 

福岡県築上町の山あいにある上城井小学校の校庭横に、太平洋戦争中、米軍機からの機銃掃射を受けて亡くなった児童や教師たち4人を慰霊する石碑が、校舎を見守るようにたっています。

 
 

石碑には、「昭和二十年八月七日午前十一時三十分米軍機二機飛来・・・校庭を避難中の教師学童職員を機銃により無差別攻撃」とその時の様子が刻まれています。石碑は、当時を記憶する卒業生たちによって、9年前にたてられました。建立に尽力した人たちも高齢になり、今は命日の慰霊祭は行われていませんが、折にふれ、近所の人や遺族が花を手向けています。

 

このときに亡くなった教師の遺族のもとに、差出人のない、1通の手紙が届いています。

 

「小学校二年生の時担任だった先生が、私達の学校が爆撃を受けて亡くなりました。

その時私は三年生でした。

毎年終戦の日近くになるとあの日はとても暑い日だったが、何日だったろう、そして、先生は何才だっただろうかと思ううちに秋になってしまいます。

今年こそは、と思い、お墓をさがしておまいりしました。

いつも絣の上着とモンペをはいたやせ型で、とても美しかった先生の姿を思い出してお墓の名前をなでながら 「先生!! 先生!!」と小さな声で何回も何回も呼んでみました。

涙がボロボロこぼれました。最後に「先生 さようなら!!」とお別れを言って何かホッとした心地でした。」

 

消印は、1995年9月。戦後50年目の夏に、墓参をすることで、悲しみの記憶に区切りをつけたのだと思います。慰霊碑を建てた卒業生の皆さんも、心の中に持ち続けていたおもりを、碑の建立によって65年目にやっとおろしたのだと思います。

 

 

さて、あすばるでは、「人々の暮らしに見る戦争」の企画展に合わせて、

8月17日(土)13:00から、戦争と桃太郎の銅像を題材にした絵本『ももたろうからのてがみ』の作者・はらがいずみさんをお招きし、読み語りと歌のスペシャルイベントを開催します。

『ももたろうからのてがみ』は、子どもたちの大好きな桃太郎の銅像が、戦争中や戦後、壊されそうになりながら、人々の機転で守られたお話です。

是非、ご参加ください。

絵本の原画展も行います。(8月17日~8月31日)

 

 

最後に、我が家で撮った直近の2コマを。梅の土用干しと、北九州わっしょい百万夏まつり前夜祭の花火です。

 
 

実は、上城井小学校で亡くなった教師は、私の叔母です。叔母は、校庭で銃撃を受けた児童を助けようと飛び出して行って自身も撃たれたそうです。21歳でした。私は、子どもの頃、祖母から何度も何度もその日の朝の話を聞きました。

その日の出勤時、叔母は何度か家に戻ってきたそうです。戻ってきては食卓に置いてあったトマトを口に入れ、出て行ったかと思うとまた帰ってきて、トマトを食べたそうです。祖母は、「遅れるよ、早く行きなさい」とせかしました。その言葉に叔母はにっこり笑って、手をあげて「さらば」と言って出かけました。

 

祖母は、「早く行きなさい」と言ったことをずっと悔いていました。また、私に、「さようなら」という言葉は使ってはいけないといつも言っていました。私は今でも「さようなら」という言葉が言えません。

だから、私のコラムの終わりのごあいさつは、いつも「では、また。」なのです。

では、また。

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