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石橋 美恵子(いしばしみえこ)さん

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筑紫女学園大学名誉教授、「北京JACふくおか」顧問

「ジョルジュ・サンド」と「フランス」に生きた半生

 

家では「鬼親父」に、大学では「鬼教授」に鍛えられ

 1950年代当時は、まだ女性に対しての固定的な観念が色濃い時代。九州大学の教養部も、女性は1学年全体で20数人しかいなかった。そんな中で、フェミニズムの先駆者的存在でもあり、「才能に溢れ、自由に、正直に生きた女性」であるジョルジュ・サンド(※)は、当時は特に悪評が高かったが、その辺が逆に興味を持つ入り口となり、その後、実に半世紀近くにわたってジョルジュ・サンド研究とフランス文学に関わっていくことになる。
 当時のフランス文学の教授は、フランス留学の経験もある、明治生まれで気骨のある男性。学生は少しでも甘い翻訳をしたりすると、「立ち上がれないほど」容赦なく指摘された。また、石橋さんの父親は農学部の教授で、戦前にはドイツに留学していたこともあった人物。父親はそこで、自立した西洋の女性達の姿を見ていたので、家ではことあるごとに、「西洋の女を見ならえ」と厳しく教育した。
 2人とも女性に対する遠慮みたいなものもなく、非常に厳しかった。教授からは、「泣くようなほどの」怒られ方もしたし、父親からは子どもの頃に、本を読んでいると取り上げられて、外で遊ぶように促されたこともあった。しかし、こういった若い時期に、学問的にも人間的にも厳しく鍛え上げられたことは、その後の人生のバックボーンともなっていった。

※ジョルジュ・サンド
19世紀フランスの女性作家。本名オーロール・デュパン。詩人のミュッセ、音楽家のショパンなどとの恋愛遍歴の中で、100編を超える作品を残した。「男装の麗人」としても有名。

親としても、教員としても悩んだ育児の時期

 大学院卒業後の1957(昭和32)年秋、曰く「若気の至りで」結婚。その後、二児を出産。その頃はすでに教員としての道を歩み始めており、忙しい時期でもあった。そのため、育児に力をいれると教員としての活動が中途半端になってしまい、教員に力をいれると母親としての役割が中途半端になってしまう、といったジレンマに非常に悩まされたという。
 「親としても教員としても中途半端でした。育児にも勉強にも思うように力が入れられず、本当につらかった。これでいいのかと悩み、何度か本当に仕事をやめようとも思いました」。
 そんな時、九州大学初の女性教授で、私淑していた城野節子先生(専門はフランス文学)から、「女性が結婚して子どもを産むということは普通のことなのよ 。社会がそれを受け入れていないだけ。あなたは一歩進んだじゃない。大丈夫だから、仕事を続けていいのよ」と言われたことが、とても励みになったという。
 こうして子育てに悩みながらも、周囲の助けも借りて、1969(昭和44)年にはフランス政府招致の在外研究のため渡仏。その後もフランス文学とフランス語の教員としての道を歩み続けた。

「自分自身を曲げずに、しっかりと生きていけば、道は開けます」

 こういった経験から、これからの社会は、「女性がごく自然に結婚して、出産して、安心して育児ができるようになっていけばいいと思います」と話す。ただ、現在の社会風潮への懸念としては、「最近は男女の差を意識しすぎるあまり、女の人が男の人の視点になっている感じもします。女性自身の視点から、色々なことを見つめ直すことが大事なのではないかと思います」とのことだった。
 「思うことが思うようにならず、苦労も多かったけれど、楽しかったです。そういった苦労によって、逆に社会をよく知ることができた面もありました」と、今では笑顔で自身の半生を振り返る。長い付き合いの友人も男女問わずに多く、そういった友人達からも数多く助けられてきたという。
 女性として様々な苦労に直面し、多くの人々から助けられながら自身の人生を生きてきた石橋さん。「自分自身を曲げずに、しっかりと生きていけば、道は開けます」という言葉が印象的だった。
 過去の卒業生に対するはなむけの言葉から。「花になってはいけません。木になりなさい。花はすぐに枯れるけど、木はすぐには枯れません。大きな木になって下さい」。
(2011年3月取材)

コラム

2011年の「エジプト騒乱」ではホテルに缶詰に

 歴史に関する憧憬と、「死ぬまでに一度ピラミッドを見ておきたい」という思いから、エジプトに旅行に出かけた石橋さん。その時、なんと2011年初頭の「エジプト騒乱」に巻き込まれ、ホテルに缶詰になったという(この記事の取材は2011年3月)。この時は外部との連絡をとる手段は固定電話ぐらいしかなかったので、不安で仕方がなく、「戦時中のように」いつでも逃げれるよう荷物をまとめておいたとか。
 ようやく飛行機が飛ぶとなった時も、空港に向かうバスが高速で検問のバリケードをすり抜けて行くなど、怖い思いも体験。しかし、そういった体験も「ある意味で、観光よりも、歴史的事件に立ち会えた興味の方が勝った」と、にこやかに話されていました。

プロフィール

 福岡市出身。筑紫女学園大学名誉教授。専門分野はジュルジュ・サンド研究、フランス語、フランス文学。1955(昭和30)年、九州大学文学部卒業。1957(昭和32)年、九州大学大学院文学研究科(フランス文学専攻)修士課程修了。その後教員として、九州女子短期大学、九州女子大学、筑紫女学園短期大学、筑紫女学園大学を歴任。1969(昭和44)年、フランス政府招致にて、パリ大学などで1年3ヶ月在外研究。1986(昭和61)年、筑紫女学園短期大学初の女性管理職として図書館長に就任。2008(平成20)年、第7回福岡県男女共同参画県民賞受賞。

 

 

 

 


 

 

 

 

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